吉高由里子さんの主演映画『蛇にピアス』で衝撃的なヌードを披露してから15年。
いまや、大女優として、ドラマや映画でヒットを飛ばしていますね。
2024年の大河ドラマの主演も決まっています!
そんな吉高由里子さん、生い立ちが壮絶だったそうです。
そしてどういった経緯で芸能界へと入ったのか、ご紹介していきたいと思います。
(表紙画像引用元:キレイなお姉さんは好きですか?)
吉高由里子さんのプロフィール
まずは吉高由里子さんのプロフィールをご紹介します。
本名 | 非公表 |
生年月日 | 1988年7月22日 |
出身地 | 東京都 |
身長 | 161㎝ |
血液型 | O型 |
職業 | 女優 |
デビュー年 | 2004年 |
事務所 | アミューズ |
本名は?
吉高由里子さんは、本名を公開していません。
しかし”早瀬由里子”さんではないかと、噂になっていますね!
趣味は絵を描く事
吉高由里子さんの趣味は、絵を描く事です。
2枚とも、吉高由里子さんが描いた絵です。
ちょっとと言うか、かなり独特な絵を描くみたいですね!
左の絵に至っては、少し恐怖すら感じます…!
また、音楽鑑賞も好きだそうです。
RADWIMPSのライブに行き、10年前にはボーカルの野田洋次郎さんとの熱愛スクープも撮られていましたね!
お二人はすでに破局されていますが、出会いも吉高由里子さんの趣味がきっかけだったんですね!
吉高由里子さんの家族構成
吉高由里子さんは、お父さん、お母さん、お兄ちゃんの4人家族でした。
お母さんの人柄は?!
吉高由里子さんのお母さんはとてもアクティブな方で、幼い頃には色んな所へ連れて行ってくれたそうです。
吉高由里子さんは、お母さんの事が大好きでした。
思春期の両親の離婚。
しかし、吉高由里子さんが15,16歳の頃に両親が離婚。
お母さんが家を出て行ってしまい、お父さんに引き取られた吉高由里子さん。
お父さんはコンビニのオーナーで、仕事が忙しく、父方の祖母が母親代わりとなり、吉高由里子さんとお兄さんの事を育てます。
育ててくれた祖母も大切な存在でしたが、大好きなお母さんもかけがえのない存在でした。
女優としてテレビに出るようになり、疎遠だった母親が、吉高由里子さんと連絡を取るようになります。
そして、時々2人は会うようになりました。
しかし、それが祖母にばれてしまい、祖母は激怒します。
祖母は吉高由里子さんのお母さんに会う事を決して良く思ってはいなかったのです。
祖母と母の仲。
吉高由里子さんは、何とか祖母とお母さんの仲を取り持とうとします。
朝の連ドラ『花子とアン』の撮影が終了した後、祖母、お母さん、吉高由里子さんの3人で箱根への温泉旅行を計画するのです…
祖母はもちろん行きたがりませんでした。
でも、孫娘の頼みを断る事もできず、女3人で温泉へと出かけ、関係も少しほぐれたそうです。
大好きなお母さんと、育ててくれた祖母には、仲良くして欲しいし、このまま会えなくなるのは切ないですもんね!
母と祖母の為にも、仲を取り持とうとした吉高由里子さんは、家族思いですね!
『花子とアン』の出演後、1年ほど休業していた吉高由里子さん。
存分に家族サービスをしていたのかもしれないですね。
事故に遭い、生死をさまよっていた過去
実は吉高由里子さんは、2007年の映画『蛇にピアス』の撮影直前に交通事故に遭われています!
事故が起こった瞬間の事を吉高由里子さんは、こう語っています。
「自分の身体が勢いよく宙に投げ出され全身にものすごいダメージを負うのを感じた。」
「そして、走馬灯が見え、死を覚悟した」
この言葉だけでも、相当な事故だった事が分かりますね!
一時は意識不明の重体になり、腰と顔に大きなダメージを負い、あごの骨も骨折していました。
数日生死を彷徨い、意識が戻っても、すぐには自分の名前すら言葉にできない状態だったそうです。
ICU(集中治療室)に入るほどの重体でした。
そして、医師からは、全治6か月で、後遺症が残る可能性も伝えられます。
入院中に自分の顔を見ると、顔には何重にも包帯が巻かれ、すべての皮膚が無くなってカサブタだらけの顔だったそうです。
大事故からの復活!
しかし、吉高由里子さんは、なんと1ヶ月半で完治させてしまうのです!
そして、後遺症も全くないという奇跡っぷり!
事故に遭う前は、「生きる」という事に特に意識を持っていなかった吉高由里子さん。
朝が来るから起きて、ただ一日を過ごすという毎日でした。
しかし、ICUで過ごす間、初めて強く、「生きたい!」と思ったそうです。
ICUでは、自分と同じように生死を彷徨っている人が多く、亡くなっていく人々もいる中、次は自分が死ぬのではないかと、恐怖に震えていました。
そしてその「生きたい!」と言う気持ちと共に、仕事に対する姿勢も大きく変わっていきました。
人を演じる上で、その人の”生きざま”というのはとても大切な事。
一つ一つの役に、「その人の”生”にどういう意味があるのか?」を深く考えるようになったのです。
ひどい事故だったようですが、その事故を経て、
今の女優・吉高由里子さんが存在しているのですね!
学生時代は、暗かった!?
今は天真爛漫な吉高由里子さんですが、幼少期は大人しかったそうです。
小学生の時は、友だちが一人もいなくて、いつも一人で遊んでいました。
目立たない存在で、まさか自分がスカウトされて女優になるなんて、全く思っていなかったそうです。
中学時代
中学生の頃の吉高由里子さんです。
今と変わらない素敵な笑顔で、可愛いですね!
中学時代にできた友人とは、今もお友だちのようで、
「本当にまだ友だちで良かった」
「今も大好きでよかった」
と、この写真と一緒にコメントしています。
中学卒業した頃に両親の離婚もあり、辛い時期だったでしょう。
そんな時に支え合った友人は、一生モノですよね!
高校時代
こちらは高校時代の吉高由里子さん。
高校は、東京都立深沢高校(偏差値40)に進学します。
この高校は、世田谷区にある高校で、松岡茉優さんや芳根京子さんも通っていた高校です。
そして、世田谷区に住んでいた吉高由里子さんの実家から徒歩6分の距離にあるそうです。
とっても近い!ですね!
高校生活と芸能生活
高校時代の吉高由里子さんは、アルバイトに明け暮れていました。
焼肉屋とコンビニエンスストア、ディスカウントストアのアルバイトを掛け持ちして、お金を稼いでいました。
実は、実家は貧乏だったと公言しています。
生活の為にアルバイトをしていたのでしょう。
でも、すでに事務所に入っていた吉高由里子さんは、オーディションも受け続けています。
芸能活動しながらも、バイトを一生懸命やって、家計を助けていたんですね!
その行動にも、家族想いな一面が表れていますね。
高校が家から近いのも、家の事やアルバイトの為に時間を使いたかったからではないでしょうか?
吉高由里子さんの芸能界デビューのきっかけは?
吉高由里子さんは、高校1年生の時に原宿で買い物をしていた時に、スカウトされた事がきっかけで、芸能界へとデビューしました。
スカウトしてきた事務所は、ウィルコーポレーションで、現在はアミューズに吸収合併されています。
当時は芸能界に全く興味がなかったという吉高由里子さんですが、スカウト相手が女性だった事もあり、連絡先を教えたと語っています。
吉高由里子さんデビュー作品
そして、2006年公開の映画『紀子の食卓』で女優デビューします。
吉高由里子さんが18歳の時の作品です。
この作品で、主人公・紀子の妹「ヨーコ」を演じました。
この映画で、「第28回ヨコハマ映画祭」最優秀新人賞を受賞しています!
ブレイクのきっかけは、もちろんあの映画!
吉高由里子さんの名前が世間に知れ渡ったのは、2008年に公開された芥川賞受賞作の映画『蛇にピアス』です!
吉高由里子さんが19歳の時の作品です。
この作品で、映画初主演を飾った吉高由里子さん。
ヌードのある過激なシーンも演じ、話題となります。
そして同作で
「日本アカデミー賞 新人俳優賞」
「ブルーリボン賞 新人賞」
「日本映画批評家大賞 新人賞」
を受賞するのです。
その後は、若手女優の代表の一人として、2009年には月9ドラマ『東京DOGS』のヒロインに抜擢されます。
翌年には『美丘‐君がいた日々‐』で、地上波連続ドラマに初主演します!
このドラマで、治療薬も特効薬もない不治の病を脳に抱えた美丘という難しい役を演じました。
2014年の26歳の時には、NHK連続テレビ小説『花子とアン』で、オーディションなしでヒロイン役に抜擢されます。
同作は『赤毛のアン』を日本で初めて翻訳し、世に出した村岡花子の波乱万丈な半生を描いた朝ドラです。
平均視聴率22.6%と、高視聴率を記録しました。
そして同年の紅白歌合戦の司会も務めます。
2024年の大河ドラマの主演に決定!
さらに、2024年、35歳になった吉高由里子さん。
大河ドラマ『光る君へ』で、主人公の紫式部役に選ばれています!
吉高由里子さんがどんな紫式部を演じてくれるのか、今からとても楽しみですね!
まとめ
吉高由里子さんは高校1年生の時に、原宿で買い物をしている時にスカウトをされて、芸能界デビューしました。
そして、デビュー作の撮影の直前で、大事故に遭っていました。
両親の離婚や、自身の大事故といった壮絶な過去を乗り越えて、現在は立派な大女優の一人となった吉高由里子さん。
ヌードを経たブレイクからはメディアで見ない日はないくらい、大躍進ぶりですね。
30代後半に突入した吉高由里子さんが、またどんな女優になっていくのか、今後もとても楽しみです!